カテゴリ:日記( 305 )

かなり期間があいたが、引き続きお届けしよう。

と、言いたいところだが、あれから何の進展もないのである。

相手は7対3、こちらは8対2という具合に平行線をたどっているからだ。

どなたか良いアイデアはないものか教えて欲しいものである。

やはり、裁判に持って行くしかないのだろうか?

今日、本屋で交通事故の本を見てみると、9対1か8対2の割合だった。

その他もろもろあったとしても、7体3は納得できない。

バイクと車ということで、1割は変わるそうなので尚更である。

しかし、もう事故を起こして半年が過ぎた。 いい加減なんとかして欲しい。

という訳で、今回は事故に遭ってしまった今は無き愛車を紹介しよう。

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貼っているステッカーは自作で、かなりマニアックだが許して頂きたい。(笑)

そしてこれが、無惨にも廃車になった愛車の姿である。

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カウルの前が粉々になり、面影さえなくなっている。

これで、肋骨3本の骨折ですんだのだから、運が良いと言えばそうなのかもしれない。

事故は気をつけていても起こるもの。

皆さんも注意してくれたまえ。

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先日母と弟が来た。
目的は私の新居を見に来るのと、病院の社宅を見るためである。
本当は一泊してもらって観光にも連れて行ってあげたかったが、
急遽休みが無くなってしまったので諦めたのだ。 すまん。

ところで何故社宅を見に行くかというと安いからである。
金銭的に余裕のない私にとって家賃の安い社宅は
少し魅力があった。

が、社宅に住んでいる方の話を聞くと
「結露で壁がべたべたになって、それが下にたれて畳が腐るんやぁ」
「虫とかよーさん、這ってるわ」
「湿気が凄くて、日当たりも悪いから梅雨は一部屋使えないよ」
「布団にカビが生えて何組捨てたかわからんわ」
との大変貴重な情報を得ることに成功した。

住む所ぐらい人並みの所に住みたいな。( ゚Д゚)

社宅は病院と同じ敷地にあることは知っていたが、まだ見たことがなかった。
ひょっとすれば、話より良いかもしれないではないか!

「百聞は一見にしかず」

僅かな望みを持ちながら、見に行く事にした。

病院の敷地に入る・・・・

鬱蒼と生える木々、動物でなく物の怪でもでそうな雰囲気である。
弟が運転する車が社宅へと近づく・・・・。

そして、我々は見た!

「イヤ━━━━ヽ(;´Д`)ノ━━━━ン!!」

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「廃墟やん!∑( ̄□ ̄;)!!」

と開口一番弟が叫ぶ。

「こんな所に人がすんでいるんかぁ?ヽ(´Д`;≡;´Д`)丿」

「お化け屋敷やん」

驚く弟。

驚く母。

驚く私。

噂には聞いてはいたが、聞きしにまさるすごさである。

夏になればさぞ、ヤブ蚊が飛来してくるだろう。

素晴らしき木々により日照権はもはや存在しないだろう。

「ここはダメだね(;´Д`)ノ」

弟がぽつりとつぶやくと私たちはそこに立ち止まることもないまま
無言でそこを後にしたのだった。

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私の所持する唯一の乗り物である、3代目轟天号がパンクした。
この轟天号は、買って僅か4ヶ月程度である。パンクするにはちと早い。
しかも、この前はチェーンが切れた。
坂道で切れたので思いっきり転けて足を切ってしまった。
と同時に心の何処かで何かが切れそうになったのかもしれない。
今回のパンク、なんだ、ただのパンクやんと仰る方も多いと思うが、わざわざブログに書くくらいだからただのパンクじゃない。
そう、それはある休日の事、郵便局にオークションに出品していたテレカを発送しに行こうと思い駐輪場に行くと無惨にも後輪の空気がなくなっていた我が青春の轟天号がそこにあった。
なんて可哀想な轟天号。郵便局に行った後に直してやるからな!
と徒歩で郵便局に行き、(自転車屋とは逆方向のため)一度帰還し轟天号と共に自転車屋に向かった。
その日は炎天下。暑い、暑い。しかも上り坂である。だが、轟天号の為ならと頑張ったのである。
自転車屋で修理をしている間バイクのポスターを眺めていた。
いや、轟天号を見捨てる訳ではない。だが、バイクがあれば私の行動範囲は一気に増すことも事実。しばしバイクのポスターに見とれていた。
そうこうしているうちに修理も終わり、事故で通院している病院に向かった。
今度は下り坂だ。
人生を降るのは悲しいが、自転車での下りは楽しい。
ペダルをほとんど動かす事なく病院に到着した私はリハビリを受けた。
そして、気持ちよく外に出てみると・・・・。
オーマイガッ! マイ轟天号がぁぁぁぁぁ。

パンクしてる。

しかも、後輪。

今さっき直したばかりなのに?
呆然とするが、すぐに気を取り直し自転車屋へ向かう。
しかし、今度は上り坂。
人生を登っていくのは楽しいが、自転車での登りはむっちゃイヤである。
しかも、まだ炎天下だ。
汗をふきふき、自転車屋に到着した。
おじさん、不思議そうな顔をしているが、修理を始める。
その間、バイクのカタログをみる。
うーん 格好いい。欲しいな。と私の頭の中はバイクの事で一杯である。
ひょっとしたら、その間轟天号の事を忘れていたのかもしれない。
そうしているうちに修理も終わり、今度は床屋に行った。
そこで、バシッと毛を切られた。
この切られた毛を植毛することは出来ないのか?
床に落ちている髪を眺めながら考えていた。
落ちている髪を元に戻したいけど、もう戻らない。
これこそ、悲し毛と言うのだろう・・・と。
散髪が終わり、哀愁一杯で外にでると・・・・。

な、なんでやねん!!

またもや後輪のタイヤがぺっちゃんこな轟天号がそこにあった。

なぜ? ほわっちゃ?

流石に動揺が隠せない私。
今度は自転車屋との距離が近いのでまた押していく。
あ、シャッターが閉まってる!
電話をしてみるが、出ない。どうやらお出かけのようだ。
仕方がないので、轟天号をそこに置き去りにして帰宅した。
後で電話をし、チューブを換えてくれるようにお願いした。
翌日、轟天号がないのはかなり不便である。
ああ、轟天号。早く帰ってきておくれ。
自転車屋までの道のりそんなことを考えていた。
ひょっとしたら、轟天号がやきもちを焼いているのか?
自転車屋につくと、轟天号の修理は終わっていなかった。
かわりに他の自転車を用意してくれていた。
しばらく悩んだ末私は代車で職場に行くことを決心した。
悲しくこちらを見つめる轟天号をおいて、
私は他の自転車に浮気をしてしまったのだ。
許してくれ!轟天号!遅刻する訳にはいかんのだ。
シャア・アズナブル になりきり職場に向かった。
その日は、病棟の飲み会であった。
轟天号を取りに行った私は時間が迫っていたので、
近くのローソンに置き去りにして飲みに出かけた。
飲み会も終わり、ローソンまで送ってもらった私は、轟天号にまたがった。
今度はパンクしていない。
よし、やはりチューブ交換が良かったようだ。
出費は痛かったが、仕方がないだろう。
轟天号にまたがって数分後、がたがたを振動を感じる。
不思議に思って後輪を確認すると、空気がなくなっていた。

ここまで来ると笑うしかない。

翌日自転車屋に持って行くが、今度はおじさんが変な目でこちらを見ている。
おじさんとしては、我が技術を否定されたような気分なんだろう。
私の事をいちゃもんをつけるやつだと思っているだろう。
だが、私自身も不思議なのだ。
 
おじさんよ、あなたも悪くなければ私も悪くないのだよ

と目で話しかけたが多分伝わっていないだろう。
そして、今日やっと轟天号が直ったのである。
この奇妙なパンクは轟天号の嫉妬?
それとも細木数子の陰謀か?

あと4ヶ月無事に過ごしたいものだ。

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かなり久しぶりの更新である。 事故の事ばかり書いていると気が滅入ってしまうので、今回は別の話題にしよう。
私ことWINDは、来年結婚の予定になってしまった。本当はもう少し後の方が金銭的にも良かったのだが、決まってしまったものは仕方がない。あとはやるだけである。しかし、結婚式や結納などをした経験がない。(当たり前である)よってなんの知識も無いわけである。が、知らないではすまされないので、ネットを使ったり本を買ったり、関西ゼク○ィなどを読んだりしているわけである。
調べると色々な事が書いている・・・・。また最近結婚した友人などに聞くと殆どそういったこと(結納・披露宴)はしていないとのこと。「そうか、良かった」と安心しきっていた自分であった。しかし、運命の歯車は私を思わぬ方向へと導くのであった。
まずは結納・・・。先方は私の経済状況を理解?してくれたのか、結納は良いとのこと。まぁ新しい住まいとなるところは用意しているし、基本的な電化製品や必需品は用意しているわけだからこれは助かったと正直思った。 が、  母が「結納もしないと示しがつかない」ということで、結納を行うことになった。(まだだが)その他には結婚指輪や婚約指輪・・・・。 その項目を調べてみると最近は結婚指輪の交換もしないカップルが・・・ おおぅ これは! 交換をしないということは1つでいいではないか!と早速相談してみる。答えはNO。交換はしたいそうだ。
更に話しを聞いていくうちに新婚旅行代も全額男性が支払わなければいけないということも判明した。
はっきり言って私は貧乏である。 この何年もの間フリーターだった私は貯蓄など一切ない!しかし、これも又無いではすまされない訳で、コレクションであるテレカを処分することでお金を貯めているのである。(しくしく)
まぁ、お金の事はなんとかなるが、(そうか?)もっとややこしい問題がある。それは、式や披露宴のこと、新婚旅行の行き先などの相談である。私の彼女はかなりの天ちゃんなので、どうやら私が頑張らなければいけないらしい。 今年インテリアコーディネーターの試験を受けようと思ったがそれどころではなくなったようだ。
かといって、無粋な男の考えるもので上手く行くのかどうかも又不安である。
やれやれだぜ。(BY JYO JYO)

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皆様、こんばんは。WINDです。今宵は事故2日目からのその4をお送りしよう。
相手の子どもの具合が気になった私は相手の家に電話してみた。電話には相手の旦那がでた。そこで、大変腹立たしいことを言われた。一字一句覚えてはいないが、内容はこの様なものだった。
○人の命を預かる仕事をしておいて、責任がない
○子どもが車に乗るのを怖がっている
○嫁も腰が痛いと言って歩き方が変になっている
○こちら側の方が沢山人が乗っている。(嫁・子ども2人)
○子どもにこぶができた

と言うわけで、事故の割合を5対5にしないかと言ってきた。
ふざけた話である。
その話の中にこちらも悪かったという内容は一切なかった。
言い返せば、

○はっきり言って、時速20キロ。特に急いでもいない。
○それは事故とは関係ない。それを言えばあなたの奥さんも看護師でしょう
○子どもを車に乗せるならリスクも当然負わなければいけない
○これは、後日談になるが、私が警察に腰の事を言って、警察が相手に電話した日に診断書を書いて貰っている。もし、本当に痛くて仕方がないなら、もっと早くに通院しているはず。
○それも、関係ない。
○そんなに子どもが大切ならチャイルドシートやジュニアシートを装着すべき。

となる。
しかし、そこまで言ったら喧嘩にもなるだろうし、向こうと違い私は常識人である。
「一応、保険屋には伝えておきますが」と答え電話を切った。
この電話が相手との最後の会話になった。 その5に続く

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こんばんは、WINDであります。今夜はその3をお送りしよう。
ボルタレン座薬を挿肛してもらい少し痛みが和らいだところで、胸部のCTとレントゲン撮影を行うことになった。所が、動けない。ベットからの移動が凄く痛いのである。手足が折れているわけでもないのにたかが移動でこんなにも辛くなるとは・・・・良い勉強になった。
診断の結果は前にも書いた通りだったのだが、もう一本多く骨折していたことを知るのはそれから半月以上経過してからだった。
入院中は・・・そう、決して快適とは言えなかった。個室か大部屋か?と尋ねられたとき大部屋と答えてしまった事に私は日本海溝並に後悔した。(出来るだけ相手の負担を抑えたいからだ)
となりのおじいさんは、毎分ごとに放屁するし、線路の真横だったので窓を開けるとうるさいことこの上ない。窓を閉めると暑い。便所は臭い。あげるときりがないくらいだ。
まぁ、愚痴はこれくらいにして、話を戻そう。検査を終えベットで休んでいると看護師が「相手の方が待っているのですがどうしますか?辛いようでしたら休まれていていいですよ」と声を掛けてくれた。私は「いえ、会いますよ」と返事をした。 
数分後一人の女性が病室に入ってきた。眼鏡を掛けていないのではっきり顔は分からないが(裸眼0.1)30歳前後のように見えた。女性は「すみませんでした」と誤り「あそこは事故が多いので気を付けていたのですが、車に隠れて見えなかったんです」と話してくれた。私は事故に遭った直前に聞いた言葉を思い出した。女性の言っていることは多分正しいと思った。私自身も車を見つけたときには間に合わない状態であったからである。
そこへ突然女性の息子が病室に入ったかと思うとこちらを指差し「お前が悪いんじゃ」と叫んだ。
私はムッとする感情はなく逆にショックを受けた。事故というのは、殆どの場合どちらにも過失があるからだ。
女性は息子を注意し、主人は大阪で仕事をしているので、後で伺うこと、何か必要な物があれば言って下さいということ、自分自身も看護師で今はケアマネの仕事をしていること、子どもにこぶが出来たので、かかりつけの病院で検査をすることなどを話したあと、連絡先のメモを残し帰られた。 その4につづく

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とうとう、我が病棟にも黒いやつが来襲した。黒いやつといってもピンと来ない方も多いのではないか?白いやつと言えばRX-78ガンダム、赤いやつと言えばMS-06Sシャア専用ザグである。では、黒いやつは何かというとここをクリックしてくれたまえ決して黒い三連星ではない。
そう、やつが来たのだ。平べったくて、ぬるぬるしていて、黒くて、空を飛行する強者だ。あれが、空から来襲してきたら、どんな屈強な者も逃げ出すだろうと言うのが、私の持論だ。、もちろん私も例外ではない。やつが顔に止まれば、ジェットストリームアタックより強力な精神的ダメージを与えることも可能かと思われる。
しかし、私の持論は覆されたのである。やつが来襲してきたのは丁度お昼休憩だった。「きゃーゴキブリー」ホールからナースの悲鳴に似た叫び声が聞こえる。それでも私は傍観者を決め込んでいた。しかし!某ナースがその声を聞いたとたん「私の出番ね!」と食事中にもかかわらずすっくと立ち上がりホールに走っていった。数分後、「いやぁ やっぱり○○さんはたくましいわぁ」という褒め言葉が聞こえてきた。彼女はやつの撃破に成功したのだ。
手を洗い勝ち誇るように(見えたのは気のせいか?)再び食べ始める彼女を私は尊敬の眼差しで眺めていた。

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お待たせした。今夜はその2をご堪能頂こう。
左側を走行していた私は、突然目の前に右折してくる車を発見したのだ。「やばい!」と思いブレーキをかけるのだが、発見したのが車一台程度の距離だったため、ニュータイプと言われる私でも間に合うはずがなく(しかも、左右に逃げられない)殆どノーブレーキで右折車と衝突したのだった。衝突した瞬間の記憶はない。記憶があるのは四つんばいになっているところからだ。呼吸をすると右胸に痛みが走る。深く呼吸が出来ない分頻呼吸になる。ヘルメットの脱ぎ捨てたもののその場から一歩も動くことができなかった。これが痛恨の一撃と言われるものだろう。
「大丈夫ですか?」と尋ねる女性の声「またここで事故があったのか!ガードマンは何してるんな!」と言う男性の叫び声が聞こえた。
その時私は何を考えていたかというと「うわぁ、この怪我は一日じゃ治らへんぞ。明後日から仕事なのにどないしよう?首やろか?」と仕事の心配ばかりしていた。
そうこうしている間だに救急車が到着した。やけに早い到着である。後日確認したのだが、殆ど目の前が消防署だったのだ。運が良いのか悪いのかよく分からない。(いや、きっと悪いのだろう)
救急車に乗せられ近くの病院に搬送された。そこで、6・7番肋骨骨折と打撲の診断をされることになる。K-1で肋骨を骨折しながらも戦っていたファイターが居たが、あれは化け物である。普通は動けないだろう。多分痛覚が麻痺しているものと思われる。
今回一番泣けたのは怪我の痛みではない。トホホな思いをした精神的ダメージだ。
それは何かと言えば、幾つかある。まず、事故をするのも格好悪い。バイク歴13年(殆どペーパー)であるのにだ。そして、ボルタレン座薬を入れられるポーズもいまいちだ。いや、あのポーズは死ぬまで他人にはさらしたくないものだ。が、もっと情けないことは、職業を聞かれ「看護師です」と答えることだった。看護師になって僅か1ヶ月で看護される側になろうとは・・・・。正にトホホな人生である。
加えれば、体のあちらこちら悪いところがある私にとって、唯一自慢できたのが骨の強さだった。
今回の骨折と共に私の心の拠り所もパキンと心地よい音を立てて崩壊したわけだ。 やれやれである。  その3に続く。

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腹痛編で転がりだした、俺の人生・・・・。ついに加速がつき始めた。こうなったら、誰も阻止することは出来ないだろう。今回の悲劇は交通事故編である。それではじっくりと堪能してくれたまえ。
それは5月3日の事であった。4日までGWの休みがあったが、賢い私は余裕をみて1日早く帰ることにした。KAWASAKIのZZR250を操り、一路アパートを目指していた。バイクは当初和歌山に置いておく予定であった。では、何故わざわざバイクを運ぶことになったのかというと、今住んでいるところがあまりにも突っ込みどころがありすぎて、どこから突っ込んでいいのかわからないくらいに不便なためだ。はっきり言わなくても自転車での活動に限界を感じていた私は、更なる開拓の為、機動力のあるバイクに白羽の矢を立てたのだ。
バイクを持って行ったら、あっちにもこっちにも行こう。(決していかがわしいところではない)という夢は、無惨に橋本と言う地で果てることとなったのだ。
GWも終わりに近づいているせいか、それとも市街地のせいなのかは分からないが、道は少し渋滞していた。私は迷うことなく混雑している車の左側を走っていた。「ははは。さらば、渋滞に巻き込まれている諸君!」とデスラー総統の如く笑ったかどうかは記憶に無いが 、こういった時にはバイクは便利である。バイク様々だ。 しかし、そんな微かな幸せは長くは続かなかった。(多分2分くらい) その2に続く。

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今までかろうじて均衡を保っていた我が人生がついに音を立てて崩れ始めた。その第一弾として腹痛編をお送りしよう。それはある静かな金曜日だった。その日はオリエンテーションの最終日である。男性看護師6人が集まり、知らないうちにどこかに飲みに行こうという暗黙の了解ができあがっていた。そういう了解は女性看護師側にもあったらしく、みんなで飲みに行くことになった。勤務してから同じ病棟の同期以外殆ど話もしていなかったので、良い機会だと思った。ここまでは何事もなく順調だったのだが、午後から待ち受ける悲惨な運命は着実に訪れようとしていた。
話は変わるが私は弁当を作っている。家に居たときは作っていなかったのだが、今は作っている。別にまめな性格だとか、料理に凝っているわけでもない。病院の飯がまずくて高いのだ。まずいだけなら許そう。高いだけでも許そう。しかし、まずくて高いのは許せない。大学の学食もたいがいだったが、それを上回るという事態に弁当を作る必要に迫られたのだ。が、今回の原因は正にこの弁当にあったのだ。弁当のメニューは豚トロとプチトマトだった。どうやらこの豚トロがいけなかったのだろう。美味しく食した私は13時前に体の異変に気付いた。「なんだか気分がすぐれないな。それにこのげっぷはなんだ?」と思いながらも午後からのオリエンテーションに参加した。15時過ぎ、それは確実な吐き気に変わっていた。「最後まで持つのか? やれるのか?」と富野監督
のキャラの台詞っぽい事を考えていた。その間も質問に答えたりと平静を装うっていた自分が意地らしかった。が、かなりやばい状態であった。16時45分、終了まで残るところ15分と言うところで力尽きた私はトイレに行くことを告げ部屋を後にした。「うっ」こみ上げてくるすっぱい物。やばいもうちょっとやん。腹部もグル音が更新していて、上下からの総攻撃を受けていた。努力のかい空しく、口をふさぎながらトイレに駆け込んだものの結局間に合わず、げろの花を咲かせてしまった。(食事前の諸君、すまん)白衣も汚れ、床も汚れ、私の心も汚れちまったよ。黙々と床を掃除していたら、師長さんが・・・。迷惑掛けてすみません。その後1週間下痢と腹痛に悩まされることとなる。
実は嘔吐するときに細木数子の顔が浮かんだ。何故細木数子かというと今年の初めに読んだ細木の本によると今年は「健弱」らしい。健弱とは読んで字のごとく健康が弱るということらしい。特に3・4・5月は月も殺界に入るために、普通の方法では健康が回復しないらしい。しかも、この時に無理をすると後の健康にも影響するそうだ。なんてイヤな年なんだろう。しかも、アドバイスには転職するな、新しい環境にするな、転職するなら不規則な仕事をするなと言っている。全部アドバイス無視してるやん!いや、しかしこれくらいのことは良くある話。きっと大丈夫だろう。そう自分に言い聞かせていた。しかし、本当の恐怖はこれからなのであった。

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